今年も、わが家の庭にシャクヤクが咲きました。
つぼみがふくらみ、ぱっと花開くと、まるでドレスのように華やかで、
気品があります。
母が遺してくれた花 〜しゃくやくが咲く頃〜
玄関前や道ばたにも咲いていて、この季節ならではの美しさを感じます。
このしゃくやくは、もうずいぶん前に母が植えてくれたものです。
当時、母は「咲いたときが本当に楽しみ・・・」と言いながら、世話をしていました。
水やりをしたり、枯れた葉を取りのぞいたり、虫がついていないかを気にしたり。
ある時は、丁寧に植え替えをしていました。
その姿が、今でも私の記憶に残っています。
母が他界してから、もう何年も経ちましたが、シャクヤクは毎年変わらず咲いてくれます。
庭の片すみに咲くその姿は、どこか母がそっと微笑んでくれているように感じるのです。
つぼみから一気に咲きほこる命の美しさ
咲きはじめは、つぼみがかたく閉じていて、「まだかしら」と思っていると、
ある日突然、ふわっと花ひらく。
あの瞬間がたまりません。
ほんの数日しか咲かない短い命なのに、その間に精一杯輝いているように見えます。
シャクヤクの花言葉には、
「恥じらい」「はにかみ」「思いやり」などがありますが、私は個人的に「誇り高き美しさ」という意味も好きです。
静かに、でも堂々と咲いている様子は、まるで母のようにも思えてきます。
今日は仏壇のお花を替えました。
「ほら!今年もきれいに咲いてくれたよ。ありがとう・・」
と、話しました。
今年もありがとう、来年もまた
庭の手入れは正直、少し大変なときもあります。
でも、このシャクヤクだけは、どうしても手放せません。
草むしりをしている時も・・・
春になると、ある日ひょっこり新しい芽が土の中から現れます。
ほっとします。
芽はどんどん成長して、やがて蕾がのり、花開いてくれます。
「ああ、ここに今年も咲いてくれてありがとうね」
と心の中で語りかけています。
母もきっとよろこんで見ていることでしょう。
ご近所の方が通りかかると、
「きれいに咲いてますね」
「お花が見事ですね」
と声をかけてくださることもあります。
そんなとき、少し照れながらも、「母が植えたものなんですよ」と答えると、皆さん優しくうなずいてくださいます。
終わりに
花は咲いて、やがて散ります。
でも、毎年咲いてくれる花があることは、暮らしの中の大きな慰めになります。
忙しい日々の中でも、少し立ち止まって、花を眺める時間を持てるというのは、
なんと贅沢なことでしょう。
これからもしっかり世話をして、
来年もまた、あのやさしい花に会えるようにしたいと思います。
そして母の記憶を、こうして少しずつ、私なりに受け継いでいけたら――
そんなふうに、シャクヤクの咲くこの季節に思うのです。
コメント